雨月物語・白峰

朗読:田中洋子
原文PDF作成:杉山優花
現代語訳・解説:田中洋子

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解説
「雨月物語」は明和5年(1768)年に完成された。筆者は上方の国学者・上田秋成。
 この物語集は5巻に9話の話を収めている。「白峯」はその第1巻の1話。つまり全編のスタートを飾る作品である。ほかの物語は先行研究で、ほとんど中国の原話が推定されているが、これは「保元物語」「平治物語」「平家物語」などの物語、また、西行の伝説などを下に書かれた日本の歴史物語である。
 ここに登場する「院」は保元の乱に敗れ、讃岐に流された崇徳上皇のこと。前天皇ともあろう者が配流されたと言うのは前代未聞。天皇家と藤原氏の勢力争いに武士の争いが複雑に絡み合った戦いだったが、崇徳上皇は遠く讃岐(香川県)に流された。彼はそこで京都への帰還を何度も願うが、現行政権はそれを許さず、彼の写経を京都の寺院へ納めることも許さない。崇徳院は怒りのあまり、呪いと祟りを業とする魔道に身を落とし、都の政権を呪いながら死んだ。
 相手となる僧は歌人として有名な西行。彼は佐藤義清と名乗って俗にいた時北面の武士として院に仕えていたこともあった。乱が起きる前に出家して「円位」という僧になっていた。彼は名利を重んじる僧の世界にも絶望して、再出家とも言える旅に出て「西行」と名乗るようになる。その旅の途中、彼が崇徳院の菩提を弔おうと、陵墓のある白峰にお参りした時の話、ということになっている。
 かたや日本一の大魔王となった上皇、かたや日本史上最大の歌人の一人。役者に甲乙はつけがたい。魔王となった上皇の描写も詳しく、配下の烏天狗のような化鳥も面白い。そんな院に対峙する西行も、歌を詠み院の怒りをいったんは鎮める活躍を見せている。
 崇徳院の呪いは明治の世まで続いた。明治天皇が京都から東京に移る時、お参りに行ったのは陵墓を除けば白峯宮である。天皇家に代々崇徳院の呪いの恐ろしさは受け継がれ、語り継がれていたのだろう。現代の我々には縁遠い話とも思えるが、昔の人のことを「呪い」という形であれ、語り継ぎ思いついで行った昔の人とどちらが「歴史を生きている」といえるのだろうか。
 「雨月物語」そのほかの話も面白い。「菊花の契り」「夢応の鯉魚」「浅茅が宿」「蛇性の淫」など怪談として、今でも多くの作家がリライトしている。それぞれ中国の怪談が原話となっているが、見事に日本の話に換骨奪胎している秋成の筆力に敬服する。
 上方の国学者としても活躍した秋成は、かの有名な本居宣長が大嫌いだった。悪口も書き散らしているから、興味のある方はぜひ探してみてほしい。秋成の豊かな想像力とロマンチシズムが宣長の見事なまでに論理的な考察と相入れなかったであろうことは、容易に想像できる。でも、こんな二人の喧嘩を見聞することができた江戸の人ってなんて幸せなのだろう!

現代語訳と背景

保元元年(1156)、崇徳上皇と白河天皇の間で戦われた保元の乱で敗れた上皇は讃岐国に流された。上皇が位にあったとき、武士として使えていた佐藤義清はその前に出家し西行となっていたので、乱には関わらなかったが、諸国をめぐる旅の中で讃岐で崩御した上皇の御陵に参ろうと白峰にたどり着いた。御陵の前で、京都を遠く離れた流刑地でなくなった上皇の無念を思い、成仏を願って読経していた西行の前に、上皇の霊が現れる。

(西行)それにしてもなぜ迷いの道にお入りになってしまったのですか?濁世をお離れになったことが羨ましく存じ上げますのに、おあらわれになってくださるとは、ありがたくも悲しい温こころでございます。どうぞ迷いを離れ、仏果円満の位にお上りなさいま。

 新院(上皇)からからとお笑いになり、「知らないのか、近頃の世の乱れは私が起こしたのだぞ。生きていた日から魔道に心を向け、平治の乱をおこし、死んでも朝廷に祟っているのだ。見よ見よ、そのうちに天下に大乱を起こしてくれるわ」

 西行「これは浅ましいお心です。君はもともと聡明でいらっしゃるので、王道はご存じでしょう。」
 そういって西行は歴史を説き、上皇の怨念を晴らそうと努める。しかし、上皇の怒りは収まらない。しかし、流石に上皇も西行の熱意を見て

新院はため息をついて「今、ことを正して述べるところには道理がある。だが、どうしようもない。この島に捨てられて、高遠の松山の家に苦しめられ、日に3度の食事を整えてくれるもの以外には使える者もいない。空を飛ぶ雁の声を夜聞くにつけても、東に行くのだろうと懐かしく、暁の千鳥の浜に鳴いているのを見ても、心を砕く縁となる。カラスの頭は白くなっても、京都には帰る時も来ないだろうから、海の鬼になってしまうだろう。ひたすら死後のためにと、5部の大乗経を筆写したが、寺の鐘も聞こえないこんな果ての地に置いておいても仕方がない。せめては私の筆跡だけでも都の中に入れて欲しいと、仁和寺の法親王のところに、経に添えて歌を送った。
     浜千鳥跡は都にかよへども  身は松山に音をのみぞなく

それなのに小納言信西の計らいで、もしかしたら呪詛の心もあるかもしれない、と申し上げたので、そのままお返しになったのが恨みである。昔から大和も中国も、国を争って兄弟が敵同士になった例は珍しくないが、罪深いことだと思うから、悪心懺悔のために写したお経なのに、どんなに妨げる者がいたとしても、親しいものを守るべきという掟も守らずに、筆跡だけでも入れて下さらぬ帝のお心こそ、今は敵である。ひたすらこのお経を魔道に回向して、恨みを晴らそうと一筋に決めて、指を傷つけ血で願文を書き、お経と一緒に志度の浦に沈めてからは人にも会わず深く閉じこもってひとえに魔王となろうと願を立てたが、さてさて、平治の乱が起きたぞ。

応保の夏には美福門院の命を奪い、長寛の春には忠通に祟り、我が身もその秋世を去ったが、
まだ、怒りの炎が燃え盛って消えないまま、ついに大魔王となって、300余類の頭目となった。わが眷属のなすところと言っては、人の幸いを見ては転じて禍とし、世が治ったのを見ては乱れを起こさせるのだ。

見ていろ。平氏の世も長くはないぞ。雅仁(白河天皇)が私に辛く当たったその報いだけはきっちり払ってもらうぞ」とお声はますます恐ろしく聞こえた。
西行「これほどまでに魔界の悪業に繋がれて、仏土に遠く隔たっていらっしゃるので、もう何も申しますまい」とただ黙って向かっている。

時に峰・谷揺すって風は林を倒すようで、砂を空に巻き上げる。みるみる一段の隠火が、上皇の膝の下から燃え上がって、山も谷も昼のように明るくなった。光の中にじっとお顔を見申し上げると、朱を注いだお顔に、いばらのように乱れた髪が膝にかかるまで長く乱れ、白目を釣り上げ、熱い息を苦しそうにお付きになっていた。お着物は柿色ですすけていて、手足の爪は獣のように生え伸びており、魔王そのままのご様子。あさましくも恐ろしい。空に向かって「相模相模」とお呼びになる。鳶のような化物がきて、御前に伏して御命令を待つ。

新院「どうして早く重盛の命を取って、雅仁、清織を苦しめないのか」
化鳥「上皇(白河院)の幸がまだお尽きになっておらず、重盛の忠義と信頼には近づきようもありません。今から干支一巡の時を待てば、重盛の命も尽きましょう。彼が死ねば一族の幸運もこの時、滅びるでしょう。」
新院は手を打ってお笑いになり、「あの敵どもは全て、この前の海で滅び尽きるだろう。」
お声は谷峰に響いて、凄まじさは言葉にもできない。魔道の浅ましい様子を見て、涙も堪えきれなかった。

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