今昔物語の編者、編纂年代共にわかっていない。平安時代末期に寺院の僧の手で編まれたもの、ということだけがはっきり言えることだ。語学的にも平安時代末期の口語の影響がはっきり出ているし、漢字カタカナまじり文というものも、僧たちが講義をノートする字体というカタカナを使いこなしている僧侶たちの文学を物語る。
なぜこのような「説話文学」と言われる短編の物語集が生まれたのだろうか。「説教」のネタ本だと言われている。平安末期になって、災害や政変など、世の中が騒がしくなってくると、人心も不安を感じる。仏教のありがたさは庶民にも浸透していたが、今まであまり語られてこなかった「私の救い」が問題にってきた。私は死後、救われるのだろうか。その疑問を受けて立ったのが浄土教の僧侶たちである。念仏すればあなたは阿弥陀様に救ってもらえるんですよ!この力強いメッセージは説教僧の口から庶民に語られた。その時に僧たちが必要としたのが「話のネタ本」。各地の寺院で作られたと思われるが、一番大部で現在まで残っているのがこの「今昔物語集」である。
全31巻、天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)の3部構成で、本朝の部は仏法部と世俗部に分かれている。この話は天竺部の中でも「仏後」(釈尊涅槃後)の物語である。龍樹(ナーガールジュナ)は仏滅後6~700年に南インドに生まれた。大乗仏教の哲学的基礎を築いた人間として多大な尊敬を集め、日本でも興福寺に弟の世親とともに彫像が残されている。
そんな高徳な師が俗人であった時、こんな悪いことをしたのだ!という驚きとともに、ああ、彼も私らと同じ人間なんだな、と聞くひとはみんな思っただろう。犯罪にもなってしまう悪戯だが、龍樹に親しみを感じただろう。また、王様の反応も面白い。後宮に白粉を撒き、犯人の足跡を頼りに斬り伏せようとするなんて、頭いい!と思ってしまう。
こんなお話が満載なのだ。「今昔」の本町世俗部は芥川龍之介によって面白さを発見されたが、それ以外の巻もオッもしろいのである!
聞いてみると「伊勢物語」や「源氏物語」とは違う文体に戸惑うかたも多いかもしれないが、それに慣れれば、むしろ聞いているだけでわかるようになるだろう。何しろお説教のマクラなどに使われた話なのだから。中世の口語を交えた語り口に耳を傾けてほしい。
田中洋子
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