和菓子と古典 (ようこらむ)

 ドラえもんが好きなお菓子はなんでしょうか?世界中の子供たちは答えられます。「ドラやき」です。これは仏教の法事の時に使われていた「銅鑼」という楽器に形がにていたから名付けられました。ちなみに今のドラとは形が違います。「にょうはち」という楽器に似ています。二つを合わせて叩いたり、単独で叩いたりします。おっと、話がそれました。有名などら焼きに文明堂(これ、社名を出して悪ければB社にしてください)の「三笠山」があります。昔は包み紙に跨線と月が印刷してあったのですが、今もそうでしょうか。


 「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」。百人一首にも乗せられている奈良時代の遣唐使・阿倍仲麻呂の歌です。彼は遠く唐の都・長安で月を見ながら故郷に思いを馳せています。仲麻呂は何度か帰国しようとしましたが、その度に失敗し、ついに帰国はできませんでした。玄宗の寵を得て比較的高い官職を得て(国立図書館長みたいな職らしいです)唐で死にました。彼の望郷の思いはこの歌に切実に表れています。(ついでに中国で生まれた仲麻呂の遺児たちは後の説話文学の中で大活躍します。)再び、ついでに。遣唐使として渡唐し、ついに帰れなかった日本人の墓誌(お墓の中に入れる記念碑)が近年、中国で出土しました。仲麻呂の他にも何人も、月を見ながら日本を思った人がいたのですね。当のどら焼きは、どら焼きのカーブを奈良の春日山に見立て、この歌をデザインのモチーフにしているのです。


 和菓子ついてもう一つ。京都のお土産「八つ橋」です。今では「生八つ橋」の方が有名ですが、昔は「八つ橋」というと、ニッキの入ったおせんべが半円形に撓んでいる硬いお菓子でした。日持ちがするので京都土産というとこれでした。今でもそうかなあ。八つ橋の缶は赤い地に杜若が描かれていたと思います。「八つ橋」の形自体がお琴をかたどったもので、江戸時代末の「八つ橋検校」という有名な琴の奏者にちなんでで名付けられているのですが、この缶のデザインは橋自体によります。
 「伊勢物語」の有名な東下りの段、「駿河国、八つ橋」に昔男の一行が来た時、ここは橋を八つ渡してあるのでその名があるのですが、杜若が盛りと咲いているのを見て、一行の一人が昔男に「かきつばた、という5文字を句の上に据えて旅の心をよめ」と難題を出しました。すると昔男は「から衣 着つつ慣れにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」と読みました。それぞれの句の冒頭お字を拾うと「か・き・つ・は・た」となりますね。「慣れ親しんだ妻を残してきたのではるばる来た思いがする」という意味にさまざまな技巧を凝らして読んだ歌です。「八つ橋」つながりであのお菓子はこの「伊勢物語」の物語をデザインモチーフにしています。


 ついでにもう一つ。浅草に行って雷門から少し離れていますが、言問橋という橋が隅田川にかかっています。その橋のたもとに、今でも「言問団子」のお店があります。この「言問」も「伊勢物語」から来ました。隅田川のほとりに一行がついて想いに耽っていると、川の上を小さな鳥が飛んでいます。「白き鳥の 嘴と脚と赤き・・群れいつつ魚を食ふ。」都にはいない鳥なので名前を問うと船頭が「これなむ都鳥」というので昔男はこう詠みました。「名にし負はば いざ 言問はむ 都鳥 我が思ふ人は ありやなしやと」。遠く都に残してきた恋人が無事でいるのかどうか、胸を噛む思いが「都鳥」という名前に触発されてこぼれ出ています。言問団子にはそんな伊勢物語の主人公の愛の絶唱がこれまられているのです、な〜んて思って食べてませんよね。美味しいけど。

Yoko Tanaka

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