三島由紀夫「海と夕焼け」VOCE-Colonna

近代文学コラム

三島由紀夫「海と夕焼け」

  初めに読んだのは高校の国語の教科書においてであった。(まあ、いい教科書だったと思う。こんなのが載ってたのだから)。夕焼けの描写の美しさと、十字軍と軌跡と奴隷船と鎌倉・・・、舞台装置を見ただけでも私好み。そして奇跡が起きないことを「奇跡」とする、いかにも三島らしい逆説。物語のスケールの大きさも、心を打った。鎌倉時代=十字軍の時代。私の頭にしっかりインプットされた。

 今読んでも、その夕焼けの描写には圧倒される。夕焼けの美しさと残酷さをこんなにわからせてくれる描写はない。人物の、特に主人公の葛藤はもう少し書いてくれたらよかったとも思うが、夕焼けの描写に場所を譲ったのだろう。

 海は人を誘うが人を拒みもする。はるばる旅をしてきた安里の目にもいつも海があっただろう。その海が彼を日本に運んできた。「信仰を持たなくなった」安里が夕焼けを見に、山まで登るのは、夕焼けそのものが「軌跡」そして「奇跡的」だからだろう。夕焼けを見る彼の中に、表面的な「キリスト教」ではなく、真の畏敬の念が見える。

 その彼を見守る唖の少年の無垢の美しさ。三島好みの「美」の饗宴に私も少し酔ったようだ。鎌倉の海には今でもこのような壮麗な夕焼けが見られるのだろうか。遠いフランスを思い、「奇跡」を素直に受け入れ、「奇跡」の起こらないことを「奇跡」と感じる老人にならなければ、その本当の美しさはわからないのかもしれない。その華麗な夕焼けと対照的に、山麓に鎮まるのは鎌倉に渡来した禅の寺である。華麗さと対するに厳しい無色の禅の世界。安里は多分、その対照も理解していたに違いない。

 現代の日本人に彼の目眩く軌跡とこの「美」の対照の素晴らしさがわかるだろうか。

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