近代文学 コラム
小僧の神様:志賀直哉
言わずと知れた志賀直哉の代表作。教科書などで読んだ方も多いでしょう。秤やに奉公をしている少年が「お寿司を食べたい」という望みを持っています。その子と偶然に出会った華族の青年がこの小僧にお寿司を食べさせて、名を名乗らずに姿を消したので、小僧は「あれは神様だった」と思う、という物語です。
お寿司が屋台で食べるものから高級店が派生していく都市化の過程、小僧奉公をしている子供と青年家族の生活の違い・・・などなど、驚くような細部が散りばめられていますが、一番大切なこと、「この小説で作者が語りたかったことは何か」ということが、ともすればわかりにくく感じられます。小僧が勇気を奮って初めて屋台の寿司を食べに入って、お金が足りなくて恥を書くところ、それを見ていた華族Aの心の動きなど、よみどころはたくさんあるのですが・・・。
余計に思われるのが青年華族AとBの会話。「いいことをしてあげるのが恥ずかしい」というAの気持を「わからなくもないな」と受けるB。そしてAはなんとも遠回しな形で小僧にお寿司を食べさせてあげることに成功するのですが、小僧は名前も知らないこのお客を「神様だ」と思っていきます。小僧の事件が実にイキイキと描かれていますが、私は実はこの作品のテーマは「いいことをすることが恥ずかしい」というこの青年華族たちの思いだと思うのです。
動きのはっきりしている小僧の事件と、なんだかはっきりしない華族青年たちの羞恥心。どちらが目につくかというと、とうぜん小僧の事件ですが、学習院卒業の志賀直哉にとってこの青年たちこそ、その恥じらいこそ、彼の姿であり、恥じらいだったのではないでしょうか。これがいいことか悪いことかの決着はつきません。ただ、そのような心理がある、ということを作者は目の前に曝け出して見せています。
事件は小僧のもの、精神的には青年たち(そして作者自身)のものを描いた物語なのではないでしょうか。
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